卒業しました!

てぃん、無事?に小学校を卒業しました。

義務教育は余程のことがない限り、欠席が多かろうと進級、卒業出来ますね。校長先生の判断、裁量によります。

校長先生にも随分お世話になりました。

欠席の連絡のお電話を受けていただいたり、遅刻時にインターホンで受け応え、通用口の解錠をしていただいたりしました。

このあたりも、別記事で書きますが、少ない教職員の方々で多数の児童生徒に対応されているので、お忙しいであろう中、電話一本かけるにもタイミング等本当に気を遣います。

直接子どもたちに関わっていない教職員の方々にも、色々と助けていただきました。

そんな、六年間(長男から数えると十年間)お世話になりまくった小学校の卒業式は無事に終えました!

卒業式までがまあまた色々モヤモヤ続きでしたが……

三学期は、六年間の集大成。卒業に向けて、式に展示する作品の制作、卒業文集の作文、卒業式の練習と忙しいのです。

その三学期をほぼほぼ休んだわけですから言わずもがな。担任教師との遣り取りがもう、ストレスでしか無くて。

学校に行きたくないてぃんと、最後くらいしっかり締めようぜ!の担任の橋渡し役、いや板挟みの母は、卒業式に向けて感慨深いものが込み上げる余裕もなく、ひたすら今日はどうなる?明日はどうなる?と気を揉む毎日でした。

毎年担任が変わる小学校だったのですが、最後の担任は五年六年の二年続きで担任していただきました。

しかし、最後まで噛み合わなかったです。

本当に、一生懸命な先生でした。

頑張ればできる!努力すればその先に道は開ける!

子どもたちに語りかけ、ご自身でも色々挑戦されて色々成し遂げていらっしゃいました。

今年卒業したてぃん達の学年が、二年の時に新任教師として赴任されてきて初めて担任した子ども達でした。その思い入れのある子ども達を見送ることにも並々ならぬ思いがあったことと思います。

客観的に見て、先生の対応に悪いところなんてないです。ただ、本当に私たち母子とは合わなかったなぁ、と。

学校来いよ!頑張ろうぜ!と言い続けてくれました。でも、馴染めない環境に、頑張って馴染めよ!と言い続けられているのと同じことでした。

やりたくない事もみんなやってるんだから、君も向き合えよ、逃げんなよ、て言われてるみたいでした。それに近いことは何度か言われたことはあります。

てぃんは卒業文集の作文を書きませんでした。形式だけの、上っ面だけの作文でも良かったんです。それも頑なに拒否しました。

母がてぃんにインタビューして書こうか?みたいな提案もしました。拒否されました。

無理矢理書かせた作文を載せるのも、嫌な思いしか残らないので、担任には白紙で載せて下さいと伝えたわけです。

しかし、白紙だと、それを見た他の子がびっくりしてしまうのでそれはだめです、と却下されました。

それで担任から提案されたのが、以前に書いた作文を卒業文集用の原稿用紙に書き直して載せると言うものでした。

卒業に全く関係ないその作文は、結局他の子を困惑させるのでは?と思いましたが、まあ、文集が埋まっていることが大事なのだろうと母は承諾しました。

しかしその作文、てぃんとしては完成度に納得がいっていない作文で、ここでまた書き写しを拒否。母が書き写そうかと言うも、読まれたくなくて隠していた作文なので、母の書き写しも拒否。

最初の話では、最悪最終手段として担任がワープロで原稿用紙に書きますと言って下さったような話で進んでいたと思ったのですが、最後の最後に、手書きで書かないとダメだからと言われ、てぃんも母も書かないなら、担任が書くしかない結論に至りまして。

えー……。卒業文集って誰の為?何の為?

母は、作文を載せることよりも作文を書く為に六年間を振り返ったり、未来に希望を抱いたりとそういう過程が大事なのではと思うので、その気持ちを形に出来ないてぃんに、無理に作文を書けとは言いませんでした。

卒業文集に空欄を作りたくないのは、もう担任の、学校の意志なので、色々おかしいし、お手数ばかりかけて申し訳無くも思いましたが、丸投げしました。

担任、かなり苛立ったことでしょう。お忙しい中ありがとうございました。

卒業文集とアルバムは、中学生になってから小学校に受け取りに行く謎システムなので、まだ手元にはありませんが、きっと文集は母の目には入らないところにそっと隠されることでしょう。

てぃん、卒業式の練習も休み倒しました。

何度もお電話いただきまして、当日困るのは本人ですよ⁉︎

と何度も言われました。

練習に出たのは二回くらい?でしょうか。

まあ、結論から言うと卒業式に特に問題は無かったです。

周りに合わせていれば、特に浮いたりもしませんし、緊張で本番だけちょこっとしくじるなんて普通にあることですしね。

ただ、他の同級生達が一生懸命練習して、きちんとした式を作り上げてくれたから、周りに合わせるという行動が成り立つわけなので、そこはちゃんと理解して感謝しないといけませんね。

同級生達の懐の深さには本当に頭が下がります。班での活動や色んな当番の仕事など、きっとてぃんが居ない分、沢山負担をかけた事と思います。心の中でどう思っていたかは知る由もありませんし、心は自由なので探る必要はありません。

でも、表立って強くてぃんを責めるような行動をとられたことは無かったようです。変な時間に登校しても、普通に声をかけてくれていたようです。優しい。ありがたい。六年間いっぱい助けてくれてありがとう。

まあ、そんなこんなで、感動の卒業式というよりは、あーやれやれ、何とか無事乗り切った。という卒業式となりました。

もう、日々綱渡りの気分ですからね。

次々と向かってくる行事や課題やらとどう向き合うか、どうすり抜けるか。

小学校を卒業したとしても、これから中学校生活が始まるわけで、ホッとする間などありません。

ただ、長男長女の中学校生活を見ていると、小学校よりは個人主義なように感じます。

小学校で感じた、みんな仲良く!みんな一緒に!という悪く言えば同調圧力な感は少しましな気がしていて、そこはてぃんの過ごしやすさにつながればいいなあと期待しています。

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